CPO

2025年入社
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1990年にソニーへ入社してから、およそ34年間にわたって在籍していました。最初はMOディスクドライブの製品化に取り組んでおり、いわゆる“メカ屋”としてキャリアをスタートしました。その後、ロボットの研究開発に携わるようになったのが1997年からです。
初期メンバー3人のうちの一人として「QRIO」の開発に参画しました。これはヒューマノイド型ロボットで、量産一歩手前まで進みましたが、最終的に発売は見送られました。
それでも、技術力を世に示す目的で世界中を回ってデモ活動を行い、ソニーの技術をアピールするために奮闘していましたね。
「QRIO」に関しては、ビジネスとして成立させるというよりも、技術力を示す“象徴的存在”という位置づけでしたね。「QRIO」のプロジェクトは終了となり、私のヒューマノイドロボット研究は、いったん区切りを迎えることになります。


ロボット事業部門がなくなった後、研究所に移って「家庭用支援ロボット」や「巨大スクリーンロボット」などの新規開発に取り組みました。しかしその研究所も閉鎖され、次に担当したのは細胞分析装置「フローサイトメーター」の開発です。
この装置は、光ディスク技術を応用して、必要な細胞を選別・回収するものです。私は設計担当から始まり、製品コンプライアンス(安全規格やEMC)および品質保証(QA)のマネージャーまで幅広く役割を担っていました。製品コンプライアンス・品質保証の両立はかなり大変でしたが、新規事業という事情もあり、やり切る覚悟で取り組んでいましたね。

そうですね!ただ、幸運なことに再びロボットに関わるチャンスが巡ってきました。「aiboの復活プロジェクト」です。ソニーには「社内募集制度」があり、自分で部署に応募し、合格すれば所属している上司の許可がなくても異動ができます。当時の上司は私の意志を理解して、快く送り出してくれました。
最初はメカ設計として参画しましたが、設計の品質担当マネージャーとしても活動を開始しました。その後すぐに「チャージステーション(aibo専用充電器)」のプロジェクトリーダーに抜擢されました。自律型aiboがバッテリー残量を感知して自ら充電しにいく構造で、開発担当リーダーがいなかったため、私に声がかかったのです。


そうなんです(笑)2003年の大晦日に「NHK紅白歌合戦」に出演したのは非常に印象に残っています。QRIOを12体持ち込み、第一軍から第三軍まで用意して臨みました。生放送なので失敗は許されず、ものすごい緊張感でしたね。
また、NHK教育番組の「ピタゴラスイッチ」にも出演して“アルゴリズム体操”を踊りました。お笑いコンビ「いつもここから」の2人と、QRIOが一緒に踊るという構成でした。
子どもたちにロボットの親しみやすさを伝える、非常に意義のある取り組みだったと思っています。


前職のBorgRoid社も含めて35年勤めている中で、「自分が本当にやりたいことができているのか?」という疑問がありました。そんな中、ロジックデザインの村田さんと出会い、ロボットへの想いと方向性が一致したことが大きな理由です。
私自身はハードウェア開発が得意で、量産も含めた経験を活かせる環境を求めていたので、ロジックデザインはそんな私にマッチしていると感じましたね。
ロジックデザインが持つ「低遅延の映像転送技術」は、ロボットとの親和性が非常に高いです。例えば、遠隔操作型ロボットや視覚フィードバックを伴うデバイスには最適です。
この強みを活かして、再び世界に誇れるロボットを作っていきたいと考えています。

正直、今はまだ何も決まっていません。どんなチーム体制にするかもこれからです。ただ一人ではできませんから、外部企業との協業、大学などの研究機関との連携も視野に入れています。ソニー時代はすべて社内で完結できましたが、今の時代は“スピード勝負”。
自前で全て抱え込むのではなく、オープンイノベーション的に動いていくつもりです。
また、ヒューマノイド分野では日本は大きく後れを取っており、中国やアメリカに押されているのが現実です。このままではもったいない。20年前、日本は世界一のロボット技術を持っていました。その火を、ロジックデザインから再び灯したい。そう思っています。
ワクワクが止まりません!
1日のスケジュール
出勤
業務開始に向け準備
朝会
全体で情報共有
1日の業務予定を立てる
予定に基づいて業務開始
お昼休憩
基本自炊(どうしてもレトルト系が多い)
午後の業務開始
自宅マンションの非常階段で11F⇔1F往復
(在宅勤務の運動不足解消目的)
業務開始
退勤
時間がある時は、近所散歩🚶(運動不足解消目的)
本屋に行って、情報収集(立ち読み)するのが好き